特集 熊本地震から5年
~ 「創造的復興」の実現で新しい熊本へ~



復興のシンボルとしての熊本城

 熊本の象徴ともいえる熊本城も、地震で甚大な被害を受けました。築城当初から残っていた東十八間櫓や北十八間櫓が倒壊したのをはじめ、宇土櫓や長塀など13棟の国重要文化財がすべて被災し、石垣の崩落や天守(昭和35年復元)の屋根瓦の落下などを含め、ダメージは多岐にわたりました。

 熊本市では20年がかりの修復計画を掲げ、最初に復興のシンボルとして天守の復旧に取りかかり、令和3年3月には最新の制震技術を駆使した修復工事を完了し、6月から内部公開を開始しています。また天守の内部だけでなく、特別見学通路を設置することで櫓や石垣の被災状況も公開しており、熊本地震からの復興の過程をリアルタイムで見学できる形になっています。城内の完全復旧は2037年予定とまだ道半ばではありますが、修復した天守の美しさと、震災の傷跡と復興プロセスを実際に目にすることができる貴重な場所のひとつになっています。

令和3年6月に公開を再開した熊本城天守。特別見学通路から城内の被災の様子も見ることができる

令和3年6月に公開を再開した熊本城天守。特別見学通路から城内の被災の様子も見ることができる

令和3年6月に公開を再開した熊本城天守。特別見学通路から城内の被災の様子も見ることができる

防災面の課題と益城町の復興まちづくり

 熊本地震でもっとも大きな被害を受けたのが益城町です。震度7の揺れに二度も見舞われ多くの家屋が倒壊し、また倒壊家屋により県道が塞がれたことで緊急・応急活動にも支障をきたす事態が発生しました。県ではこうした防災面の課題を鑑みて、「益城町の復興まちづくり」を「創造的復興に向けた重点10項目」のひとつとして掲げ、再建を進めてきました。町の中央市街地を貫く県道熊本高森線の拡幅に着手しているほか、町と大学、地元まちづくり協議会など地域住民と情報共有しながら、防災面を強化した復興土地区画整理事業を進めています。

 県では発災後の対応について検証を行い、防災面におけるさまざまな項目ごとに評価できる点や課題、そしてその改善点を整理しています。こうした中から避難所の対応や被災者の生活支援などについては、検証、改善されたノウハウをその後の令和2年7月豪雨災害の際にフィードバックするなど、実際の防災行動につなげる試みがなされています。また、熊本地震で顕在化した「車中泊避難」について初めて詳細な実態把握が行われ、車中泊を含めた「指定避難所以外に避難した避難者」の把握、必要な物資・保健医療サービスの提供が行き届かなかった点や福祉避難所の運用が十分でなかった点などは、今後の課題として改善に向けて動き出しています。

益城町内の復興の様子。平成28年12月と令和3年10月の比較

益城町内の復興の様子。平成28年12月と令和3年10月の比較

益城町内の復興の様子。平成28年12月と令和3年10月の比較


益城町内に整備された指定緊急避難場所。防災面に考慮したまちづくりが行われている

益城町内に整備された指定緊急避難場所。防災面に考慮したまちづくりが行われている


震災の記憶と教訓を伝承する

 震災の記憶や教訓の伝承も、復興と今後の防災のあり方に関わる大きなテーマのひとつです。県では熊本地震関連の資料を記録、整理、蓄積して後世に遺すための「熊本地震デジタルアーカイブ」を構築しており、令和3年3月末現在で約20万点の資料がウェブサイトで閲覧可能となっています。

 あわせて、熊本地震の記憶の廻廊として、「熊本地震震災ミュージアム」の取り組みを進めています。震災ミュージアムは県と市町村が連携した、震災遺構や情報発信拠点などを巡る回廊型のフィールドミュージアム構想で、現在8つの市町村で取り組みが始まっています。

 その中核拠点の一つが、南阿蘇村の旧東海大学阿蘇キャンパスで、現在ここには震災遺構「旧東海大学阿蘇校舎1号館及び地表地震断層」が残されています。阿蘇校舎1号館は断層の上に建っていたため、大きく損壊してしまいましたが、多くの専門家からの「学術的に意義が大きい」との声を受け、倒壊を防ぐ補強工事を施した上で、地表地震断層とともに震災遺構として公開しています。現地では地元のガイドの案内も受けることができ、学生と地元住民との関係や地震時の様子など、貴重な記憶を伝えてくれます。また隣接地では令和5年度完成予定の展示・体験施設の整備も始まっています。南阿蘇村ではほかにも阿蘇大橋の残った橋桁や山腹崩壊跡、大規模地すべり跡などが震災ミュージアムとして公開(AR含む)されています。

 益城町でも多くの震災遺構が公開されています。中でも地震を発生させた活断層「布田川断層帯」沿いに出現した地表地震断層が複数の地区で公開されています。地表地震断層がこれほど多く残っている場所は珍しく、国の天然記念物に指定されています。

 熊本地震が発生するまで、地元の人たちには「熊本は地震が少ない地域」という認識がありました。しかし実際には明治22年にも現在の熊本市付近を震源とするマグニチュード6.3の直下型地震が発生しており、20人の死者を出し、熊本城も被災しています。布田川断層をはじめ複数の活断層が走っていることもわかっており、熊本は決して地震が少ない土地ではなかったのです。

 日本に住む以上、これはほかの地域でも同様です。地震はいつ、どこで発生してもおかしくありません。震災ミュージアムを巡ることで地震の破壊力を学び、防災意識を向上させていくことが大切です。熊本地震の経験を未来に生かすことが、日本の防災力を高める一助になります。

震災ミュージアムの例。南阿蘇村の旧東海大学阿蘇校舎と、益城町の耕地に表れた布田川断層帯の地表地震断層

震災ミュージアムの例。南阿蘇村の旧東海大学阿蘇校舎と、益城町の耕地に表れた布田川断層帯の地表地震断層

震災ミュージアムの例。南阿蘇村の旧東海大学阿蘇校舎と、益城町の耕地に表れた布田川断層帯の地表地震断層



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