災害を語りつぐ 5

火災から町を守った神田っ子~関東大震災(1923)

関東大震災では、火災により東京は大きな被害を受けましたが、千代田区神田地区の一帯は住民たちの自主的な防火活動により、延焼から町を守ることができました。

決死のバケツリレー

東京の中心部に位置する千代田区神田地区は、木造家屋が多く道幅が狭い人口密集地域で、江戸時代から幾度となく大火の被害を受けてきました。

1923(大正12)年9月1日午前11時58分に発生した関東大震災は、ちょうど昼食の支度時ということもあり、多数の火災が発生しました。そしてその火災は、その後3日間にわたって東京の町を襲い続けました。

神田川に面した神田和泉町と神田佐久間町の一帯は、幸いにも町で発生した火災は消し止めることができましたが、周囲から猛火に包まれた延焼がどんどん広がってきました。

まず、お年寄りや幼児等を安全な場所へ避難させて残った住民たちは、断じて一歩も退かない決意をもって自衛防火活動に取り組みました。

地震によって水道は断水していました。そこで、百数十名の住民が団結して、町中のバケツをはじめ鍋釜まで持ち寄り、神田川の水はもとより風呂屋や豆腐屋の水まで利用して手送りのバケツリレーを行い、迫り来る猛火に対して水を濯いで防火活動に努めたのです。

神田佐久間町の一帯は、四方のうち南は神田川に面し、北東は不燃建造物があるという立地条件や、さらには風向きの影響もあり、奇跡的に一戸の家も焼失することなく約1630戸の家を延焼から守ることができました。

延べ三十数時間にわたる不眠不休の防火活動が続き、疲れて路上に倒れ込む人まで出ましたが、住民たちは自主的に力を合わせて懸命に防火活動に身を投じました。

記念碑が建立される

その後、1939(昭和14)年、東京府(現在の東京都の前身)はここを「町内協力防火守護の地」として史跡に指定し、戦後になってその記念碑が建立されました。碑文には次のように刻まれています。

「この付近一帯は大正十二年九月一日関東大震災のときに町の人が一致協力して努めたので出火をまぬがれました その町名は次の通りであります 佐久間町二丁目三丁目四丁目 平河町 練塀町 和泉町 東神田 佐久間町一丁目の一部 松永町の一部 御徒町一丁目の一部 昭和四三年四月二四日 佐久間小学校 地元有志 秋葉原東部連合町」

退路を確保しながら、老幼婦女子を真っ先に避難させたことにより、人々がすべての努力を傾注して防火活動に専念できました。神田の町では、平素から町会活動や祭礼を通して、親密な「共助」の姿勢が培われていたことも、町を火災から護った大きな要因となりました。

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内閣府政策統括官(防災担当)

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