過去の災害に学ぶ 35

1914年1月 桜島大正噴火 その1

桜島大正噴火は、二十世紀わが国が経験した最大の火山災害。
当時、休火山と思われ安心していたところに突然の大噴火、地震も伴い、大混乱に陥った。
溶岩や分厚い火山灰・軽石に覆われたところでは、住民が故郷を捨てて移住せざるをえなかった。
今回は噴火の概要と土石流など二次災害を含む災害実態について述べ、次回は避難と移住・復興について述べる。

岩松暉(鹿児島大学地域防災教育研究センター特任教授)

桜島大正噴火の経過と災害

桜島大正噴火は、明治末期から大正初期にかけて、日置地震(1913年)や霧島御鉢噴火(1913年)など、南九州一帯で地震や噴火が相継ぎ、地学的な活動期に発生した。
現在も2011年1月霧島山新燃岳が300年ぶりに噴火し、また、同年12月奄美近海地震が発生、徳之島では震度4であった。2012年桜島昭和火口の爆発回数は観測記録を更新しつつある。

1914年1月12日の桜島大正噴火の様子
(鹿児島県立博物館 所蔵)

桜島のマグマは大正噴火時の9割がた回復しているという。時あたかも2014年には大正噴火百周年を迎える。また、東北地方太平洋沖地震で日本列島の力のバランスが崩れ、南海トラフの連動型超巨大地震や富士山噴火などが取り沙汰されている。二十世紀最大の火山噴火であった桜島大正噴火の事例を知っておくことは今後の教訓として役立つだろう。
1914年正月前後、桜島周辺では井戸水の水位低下、温泉湧出、頻繁な有感地震など、さまざまな前兆現象が起きていた。島民は異常現象に不安を募らせ自主避難を始めたが、鹿児島測候所は「桜島に噴火の恐れなし」と言い続けた。しかし、1月12日午前10時過ぎ、西山腹の引ノ平から、その約10分後東山腹の鍋山上方から噴火が始まった。轟音を伴いながら猛烈な黒煙を噴き上げて全島を覆い、その高さは数千mにも達した。同日午後6時半にマグニチュード7.1の直下型地震も発生、激しい噴火活動は約1日半続き、13日午後8時過ぎには溶岩を流出し始めた。西山腹から流出した溶岩は15日には海岸線に到達、やがて沖合約500mにあった烏島を埋没してしまった。東山腹から流出した溶岩は瀬戸海峡を埋め尽くし、1月末頃には大隅半島と陸続きになった。西山腹の活動は約2ヶ月で終息したが、東山腹の活動は翌年の春まで続いた。また、噴火に伴い、姶良カルデラを中心に地盤の沈降も発生、鹿児島湾奥部では数十cmも地盤沈下し、塩田や干拓地が水没する被害も出した。

大隅半島と接続する寸前の大正溶岩(宮原景豊 撮影)
(鹿児島県立博物館 所蔵)

桜島大正噴火は溶岩流出が大変有名だが、降灰量も莫大で、西風に乗って広く大隅半島を覆い、遠くはカムチャツカまで火山灰が到達したという。噴出した火山灰・軽石・溶岩の総量は約2立方kmと見積もられているが、これは雲仙普賢岳噴火の約10倍、富士山貞観噴火と宝永噴火を合わせた量にほぼ匹敵する。降灰の厚さも牛根村(現垂水市)付近では1mにも達しており、大隅半島最高峰の高隅山で数十cm積もったことから、植生は破壊され、山地は荒廃、ここを源流とする河川では、その後十年近く土石流や洪水などに悩まされた。
当時、桜島島内の人口は3,100戸、約2万1,300人だったが、大部分自主避難していたため、島民の死者・行方不明者数は30名にとどまった。そのうち、火山噴出物による直接の被害者は数名で、多くは対岸まで泳ごうとして冬の海で溺死した人たちである。一方、対岸の鹿児島市(当時の人口約7万3,000人)方面では噴火の被害はなかったが、地震で29名の犠牲者を出した。その中には避難途中、がけ崩れによって亡くなった人9名が含まれている。石塀や家屋の倒壊による犠牲者も多い。
物的被害も甚大だった。多くの集落が溶岩に呑み込まれたり、厚い降灰に覆われたりして、次回述べるように移住せざるを得なくなった。もちろん、溶岩や熱い噴石によって焼失した家屋もある。桜島島内全戸数の実に62%が被災している。島内だけでなく、厚い降灰に覆われた牛根村や百引村(現鹿屋市)の人たちも含め、罹災者数は約2万人にのぼる。降灰に覆われたところに2月、3月と無情の雨が降り注ぎ、土石流が頻発、田畑を埋め、家屋を押し流した。この土石流のため避難先で亡くなった子供が3人いる。降灰が谷筋を埋めて河床が上がり水害も頻発した。堤防や堰を改修しては壊され、賽の河原の繰り返しだったという。当時の基幹産業だった農業に対する影響は致命的で、主要作物である麦・茶・タバコ・桑(養蚕)などは大打撃を受けた。移住まで至らなかったところでも、軽石層を下に埋め込み耕土を表面に出す「天地返し」を行わざるを得なかった。また、遠方では火山灰層の厚さは薄くても、粒子が細かいため、水で湿るとモルタル状になって、植物の根が入らず生長を阻害したという。
ライフライン災害もあった。地震で鉄道は不通になり、土石流で橋も流された。電信電話も局舎の倒壊や、降灰による碍子の漏電などで不通となった。新聞社社屋も損壊、情報が途絶えてデマが蔓延する原因にもなった。
また、長期にわたる不衛生な避難生活と水源の汚染により赤痢・腸チフスなど伝染病が蔓延、その死者数は火山・地震災害や土砂災害の犠牲者数を上回る。

大

大正三年桜島火山降灰礫分布図(金井, 1920)のリライト
(鹿児島地図センター作成)(部分)

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