記者の眼

ちょっとした「絆」

 防災担当の記者として、日ごろ「防災の重要性」をよくわかっているつもりではあるのだが、いざ自身の防災意識はと問われるといざ自身の防災意識はと問われると—。だいぶ心もとない気持ちになってくる。
 これまで幸いにも大きな地震や火事には無縁で生きてきた。防災と聞いて思い出すのは小学校の避難訓練ぐらい。防災頭巾が重くて、ずり落ちてきては避難中に前が見えなくて困った。突然の訓練の雰囲気にもついていけない。心構えがそんな具合なので、わたしにとって「災害」や「防災」は何かぼーっとしたイメージのものだった。
 大人になってそれが変わったかと言われれば・・・。いざという時、正直冷静でいられる自信はない。
 そんなわたしが昨年、初めて災害と言える状況に巻き込まれた。
 2008年8月28日夜。当時、名古屋支社で勤務していたわたしは、東京出張から地元に戻ろうと、やっとの思いで終電1本前の新幹線に飛び乗った。夕方には東海地方で雨が降り出したと聞いてはいたが、クタクタになっていた私は、席に着くなり、眠り込んでしまった。
 東京から名古屋までの所要時間は2時間弱。列車は愛知県内まで入っていたが、日付が変わるぐらいの時間に急にストップした。車掌の声で目が覚めた。「えーあのーただいま、観測史上とてつもない大雨が降っております」。1時間雨量が観測史上1位を記録し、死者3人に上った愛知県岡崎市の豪雨災害だった。
 最初は車掌の慌てた声に笑いが漏れていた車内も、1時間、2時間と時間が経過するにつれて、疲労感が充満し、聞こえるのは小さな子どもの泣き声だけになった。やがて疲れ切ったのか、その声すら出ない。密室と化した列車の窓に、角度のついた雨がぶつかっては流れる。
 「ほら、これ食べな。少しずつだけどね」。前方のシートをのぞくと、隣合わせた女性客が、ぐったりとした様子の子どもたちに食べ物を分けていた。「お互い様でしょう」と言って、近くの人の体をさすってあげている人の姿も。そんな気遣いが車内の雰囲気を辛うじてなだめ、落ち着かせているように見えた。
 集中豪雨で直接的にひどい被害を受けた人もいただろうし、豪雨に限らず、もっと厳しい災害現場はいくらでもあると思う。が、いつ終わるともしれない缶詰状態で、物もなく、手段もない。
 もちろん、訓練もない。見知らぬ者同士、いつ終わるともしれぬ疲労と緊張の中で、ちょっとしたコミュニケーションが互いを助けている姿を目の当たりにするのは、わたしにとってはとても印象的な出来事だった。もちろん、災害に対する心構えや訓練を怠るべきではない。危機は忘れたころにやってくる。しかし、防災という闘いの中で問われていることは、実はわたしたち人間同士の「絆」なのではないのだろうか。そしてそれはまさに、常日ごろから備えておくべきものではないのだろうか。
 2009年9月1日。防災服を着た閣僚が1人、また1人と官邸に入る。今年の「防災の日」にはこの日だけで31都道府県で約79万5000人が参加したという。
 突然、防災のプロにはなれないが、できる限り誠実に報じていきたい。見たことを書き、感じたことを伝える。それが災害に強い社会づくりにつながると信じて。

金友久美子さん

時事通信社本社内政部
金友久美子
かねとも・くみこ
平成17年、時事通信社入社。社会部、名古屋支社を経て、平成21年4月から本社内政部勤務。

所在地 〒100-8914 東京都千代田区永田町1-6-1 電話番号 03-5253-2111(大代表)
内閣府政策統括官(防災担当)

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