記者の眼

「あさって」と 「対岸」の先

 災害は、「あさって」の方向からやって来る——。 
 4月下旬、新型インフルエンザとおぼしき症例がメキシコで相次いでいるというニュースに接した時、そんなことを考えた。次に流行する「新型」は当初、アジアを発生源とする強毒型のH5N1だと想定され、多くの国がその前提で準備していたのに、実際にはH1N1の弱毒型で、”震源地”はメキシコだったからだ。
 この原稿を書いている7月1日現在で日本国内に死者は出ておらず、政府が対処のしかたを現実に即して見直す機会にもなったのは幸いだったかもしれない。
「あさって」ではないが、今年2月にオーストラリアで起きた大規模な山火事は、日本国内では山火事が比較的少ないということもあり、「対岸の火事」と受け止められていたようだ。「『数十キロ先』まさか…崩れ落ちた我が家 死者230人超す恐れ」(2月11日付読売新聞)、「家失い1カ月 続く車中泊『疲れ限界』被災7000人、支援途上」(3月7日付朝日新聞)など、報道の多くは被害の規模の大きさに焦点が当てられていた。だが、記事をよく読んでみると、被災者の人たちに大規模災害時にありがちな行動がみられることに気づいた。
 その多くは、1遠くの山が燃えているのが見えたが、自分で大丈夫だろうと判断して逃げなかった人。のんびりバーベキューをしていた人もいる 2インターネットのホームページ(HP)で行政が発信する注意情報を時折見ていたが、危険が迫っているとの情報がなかったから避難しなかった人 3「避難指示がなかったなかったから逃げなかった」と主張する人——に大別できるようだ。
 1は、何の根拠もないのに自分で大丈夫だと判断しているタイプ。2は、HPの更新は人間が入力している以上、止まる恐れがあることを忘れている。3は、自分の身は自分で守る大原則すら忘れてしまう例だ。冷静に考えると、いずれの行動もにわかには信じがたいが、人間はいざという時、何らかの異常を感じ取ったとしても自ら打ち消してしまうようにできているらしい。いわゆる「正常化のバイアス」で、結果として生死に係わってしまう。
 家などの財産を放棄してまで逃げることと、自分の身を守ることとを同じ次元で考えるには、簡単なようで実は相当に切迫しないとできないことかもしれない(命が何よりも大切なのは言うまでもないが)。幸運にも命が助かってもそれ以外のすべてを失うとしたら、誰だって容易には受け入れられないものだ。この問題に詳しい群馬大学の片田敏孝教授は、「自分は今、都合のいい判断をしていないかと常に自問してほしい」とアドバイスする。簡単だが、災害時に陥りやすい心理状態から脱するために役立つはずだ。
 なお、付け足しておくが、豪の山火事に関しては、逃げ遅れ防止のための早期警戒システムを豪政府が全土に導入しようとしながら、費用の問題で見送った経緯がある。行政が生命や財産を守る十分な仕組みを整えること、個々人が「正常化のバイアス」に陥らぬ冷静さを保つこと、いずれも欠いてはならない。災害はしばしばあさっての方向から、そして前例を上回る規模でやって来る。対抗しうるシステムを備えても、そのわずかな隙を巧みに突いてくる厄介な存在でもあるからだ。

堀江優美子さん

読売新聞社会部記者
堀江優美子
ほりえ・ゆみこ
平成10年読売新聞社 入社。富山支局、宇都宮支局を経て平成16年11月から社会部。

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