過去の災害に学ぶ 19

1847年5月8日 善光寺地震 その2

一八四七年五月八日(弘化四年三月二十四日)、御開帳で賑わっていた善光寺界隈を含む長野盆地西側で発生したのが善光寺地震です。前号では、地震発生の原因となった活断層の様子や地震による被害の状況を報告しましたが、今回は、地震後の人々の対応について報告します。

文:松浦律子(地震予知総合研究振興会地震調査研究センター解析部)

善光寺地震が発生した際、被災して生き残った人々はどうしたのでしょう。地震翌朝はおむすびなど緊急食料が近隣から共助で差し入れられました。一週間ほどで仮小屋のような避難所を主として自助で確保しています。この間に、倒壊と火災とを運よく免れた参詣者は、街道沿いの住民の援助を受けながら帰郷していきました。二週間後には犠牲者鎮魂のため供養や遺体収容も行われました。火災に懲りて道路の拡幅提案が住民から上がってくるのもこの頃です。ちょうど田植え前の時期だったので、苗を失った農家に対しては藩が籾米や苗を手当てして丸一年収穫が皆無にならないよう手当てもしています。しかし被害の大きい世帯の復興にはやはり十年単位で時間がかかり、震災の痛手は人口減少と地域経済レベルの低下として長く影響しました。もちろん藩や代官所は被害状況の把握に努め、復興のために様々な手を打っています。

善光寺地震が発生した時、松代藩の第八代藩主真田幸貫は松代城に居て地震を体験しています。幸貫は寛政の改革で有名な松平定信の二男。地震の二十二年前に真田家に養子で入り、天保の改革では老中も勤めるなど、有能で藩の運営手腕にも長けていました。このリーダーの下、松代藩は地震後迅速に組織的に対応。備蓄米を使った「お救い小屋」での緊急食料供給や、土砂崩れによる川のせき止めに犀口での堤防で対処しようとする緊急土木工事(これは被災民に手当てを支給する手段でもあった)などの地元での救済・減災対策に留まらず、被災状況の絵図を用いて幕閣向けに被害の甚大さをアピールする江戸での拝借金獲得外交も行いました。藩主以下一丸となった対応をした松代藩では、公私の記録も後代のためにと膨大に残され、善光寺地震の実像を今日の我々にもよく伝えてくれています。しかし、幸貫の松代藩でもこの災害により生じた事実上の財政破綻は幕末まで持ち越されるほどのものでした。

椎谷藩は本拠地が新潟県柏崎でしたが、この時期には一万石の半分が長野盆地内にありました。しかし大きく被災したのは問御所村(現長野市鶴賀)だけで主力の六川陣屋周辺(現小布施町)が被害軽微でした。自領の被災者に多額の救援金を支給した椎谷藩は、当時評判を良くしました。次に支援金が多かったのは椎谷藩と所領が隣接し被害も洪水が殆どであった須坂藩(現須坂市)です。

最も貧弱だったのは飯山藩。松代藩が地震後の活動も活発だったのに比較し、飯山藩は注目されませんでした。飯山では、城下の町は火災、西側山間地は倒壊と土砂災害と藩全体が被災し、人的・物的損害も甚大だったのに、最近の飯山市史編纂まで地元でも善光寺地震の被害や教訓は忘れられていた感があります。地震の十九日後の震生湖決壊による洪水の際は、警戒していた見張り藩士が増水を察知して的確に避難させたので、飯山領内での人的損失は防いでいます。しかし元々財政基盤が脆弱なためか、復興も自助中心で長期間後遺症に苦しんだようです。

上田藩は稲荷山で火災、川中島領が洪水被害を受けました。松本藩は北東部の大町組と池田組に山崩れの被害が生じ、さらに震生湖決壊までは湛水による水没被害が加わりました。しかしどちらも被災地域は一部であり、藩の規模も中程度であったので救援にも余裕があったのです。中野代官所管轄地では、西半分にあたる牟礼等、西側山間地部分が土砂崩壊、千曲川沿いが洪水の被害を受けました。当時の高田代官は復興に尽力したので、地元民が後代彼を顕彰する祭りを行うほど感謝されたそうです。

各藩は被災者へ援助した者を表彰するなど共助を奨励しました。公助に限度があったからです。復興資金の多寡は今日でも大問題です。震災が発生する毎に義捐金はそれなりに集まります。人口が少ない地域が被災した場合は、一人当たり復興に明らかに効果がある金額となりえます。しかし、被災者数が百倍・千倍となる都市人口密集地に被害が生じた場合、義捐金はせいぜい数倍にしか増加しないので、個々人にとっての効果は非常に低くなります。大都市が被災した場合、復興における公助の比率が必然的に高くなります。分業が進み便利な都市に生活する者は、災害時には相当の自助の覚悟と、地縁・血縁ではない共助の涵養が必要となります。

真田宝物館所蔵の「信州地震大絵図」。これは松代藩で作成された善光寺地震の被害の様子の絵図である。他藩の部分も書かれており、実際の距離とは山間部分でゆがんではいるが、土砂崩れや洪水被害の分布がよく表現されている。

各藩の支給金等。

善光寺地震PROFILE
活断層の大地震
マグニチュード:7.4(推定)/ 死者総数:8000〜1万人 / 全壊及び焼失家屋 :約2万戸 / 山崩れ:4万カ所以上

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