災害対応資料集

・198302:1983年(昭和58年) 三宅島噴火

【概要】

(1)被害の概要
①三宅島の概要
三宅島は、東京から約180㎞南に位置する火山島で、直線距離で東京駅からほぼ静岡県掛川市、長野県長野市、福島県いわき市までの距離に相当する。緯度では徳島県徳島市とほぼ同位置である。
面積は55.5k㎡、周囲は38.3kmで、ほぼ円形を成している。
中央に島のシンボルともいえる雄山(噴火活動前標高814m)がある。
②人口
人口は昭和30年ごろをピーク(昭和30年国勢調査:7,131人、1,703世帯)に年々減少傾向にある。
噴火時の昭和58年(1983年)1月の人口は、4,407人となっている。
③主な被害
昭和58年10月3日15時23分頃、雄山中腹にある通称「二男山」付近から噴火した。人的被害はなかったものの、島の南西部から南東部一帯にかけて甚大な被害をもたらした。主な被害状況は次のとおりである。

表1 主な被害状況

区分  人的被害  死者・行方不明者  住家被害  全壊  全壊・全焼を免れたが、溶岩流のため、道路開通まで出入不可能となったもの※ 公共建物 

その他 
畑埋没  文教施設 

道路 

水道 

崖くずれ 

海岸被害 
り災世帯数 

り災者数 
被害 
負傷者  重傷・軽傷 
340 

330 

811 
182 

477 
非住家 

73 
田畑  362.5ha 
その他 

29 

1,279 

512 

1,288 

※ 床上浸水と同様の災害救助法救助基準を適用

(2)災害後の主な経過

表2 火山活動の経過と対応

10 
月日  関係機関の対応等 
1358 三宅島測候所の地震計に地震を記録し始めた。
1446 三宅村村長(代理)に緊急電話で「火山性地震頻発」の情報を伝達
1505 都災害対策部・三宅島警察署に「火山性地震頻発」の情報を伝達
1523頃 噴火発生
1525 阿古の無線中継所で噴火(火柱及び黒煙)を確認した。噴火は二男山から山頂方向に拡大、次に海岸方向に拡大した。
1530 三宅空港を閉鎖
1537 都災害対策部に「噴火発生」の情報を伝達
1540 同報無線により「噴火発生」を放送「三宅村災害対策本部」設置村営バスを阿古地区に派遣決定 
1550 同報無線により阿古地区住民に対する避難を勧告( 
1600 三宅小・中学校体育館に避難所を開設神着老人福祉館・伊ケ谷体育館・坪公民館に避難所を開設 
1617 最初の村営バス 阿古地区へ到着11600人の住民が避難
1700 過ぎ最後のバスが阿古地区を脱出
1745 「東京都災害対策本部」設置
1750以降 孤立状態となった阿古地区住民等約 
1830 三宅村に災害救助法の適用決定
1900 三宅小学校に救護所設置(10/9)
1930 第 
2233 測候所で震度5(マグニチュード2)を観測
10  朝 溶岩の噴出が止まる。 
10  1300 「現地総合相談所」開設( 
10  1400 「東京都臨時災害対策本部」(現地対策本部)を設置
10 

 
9:25 避難所を三宅村体育館に移転三宅島空港開港 
1012日 小・中学校授業再開、三宅高校授業再開 
1014日 1630 「災害対策本部」及び「臨時災害対策本部」廃止「三宅島復興対策推進本部」設置 
1016日  避難所を伊豆老人福祉館等へ移転 

阿古地区への立入禁止措置解除、交通規制解除 
1017日 阿古(薄木)~坪田(三宅高校)定期バス運行開始 
1022日 応急仮設住宅着工(阿古下錆地域) 
1029日 避難所移転(伊豆保育園→三宅村社会教育会館) 
1030日 応急仮設住宅入居(神着地区) 
1130日 1530 「臨時火山情報第 

「三宅村災害対策本部」廃止 

避難所閉鎖 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【参考文献】
1)東京都『記録 昭和58年三宅島噴火災害誌』昭和60年9月。
2)内閣府『三宅島噴火災害教訓情報資料集』平成17年度。


 

○農地の降灰除去に関しては、農作業が不可能となった農業者を雇用し、実施した。これにより、被災農家が一時的に現金収入を得ることができた。

○策定経緯
・第8回災害対策本部会議(10月14日)において、知事を本部長とする「東京都三宅島復興対策推進本部」を設置し円滑な復興対策の推進を図ることとなった。これに伴い、三宅支庁内に「三宅島現地復興対策推進本部」、三宅村に「復興課」が設置された。
○計画体系
三宅島復興計画は、以下のような計画体系によって構成されている。

図 三宅島復興計画

○阿古地区新集落形成の基本的考え方
①住民意向の尊重
②住民の自力による再建、定住の促進
③防災集団移転促進事業を中心とする各施設の総合化
○阿古地区新集落形成基本計画の概要
・防災集団移転促進事業の実施
「防災のための集団移転促進事業に係る国の財政上の特別措置等に関する法律」の適用を受け以下のように事業が実施された。
①住宅団地の取得・造成、②団地内公共施設整備、③住宅建設のための利子補給、④移転費助成、⑤跡地買取
・新集落の設置
新集落は、「二島・横座地区」「二富賀山地区」「釜根・下錆地区」の3ヶ所とした。
・防災集団移転促進事業による住宅団地の整備
・道路の整備
・公共公益施設の整備
・住宅建設の助成
噴火災害による復興資金貸付制度を創設した。

表 事業スケジュール

【参考文献】
1)東京都『記録 昭和58年三宅島噴火災害誌』昭和60年9月。
2)内閣府『三宅島噴火災害教訓情報資料集』平成17年度。
3)小林良二「三宅島噴火災害復興の制度的背景(昭和58年三宅島噴火災害と生活再建過程の研究)」東京都立大学人文学部『人文学報.社会福祉学』、第194号、昭和62年3月31日。

○被災を免れた家屋の居住者からは移転意向が得られず、そのような箇所については災害危険区域に指定していない。また、現在でも溶岩で埋没した部分は私有地だが全くの未利用地となったままである。私有地であるために、土地の固定資産税は非常に低く設定されている。
1) 事業導入の経緯
○専門家による調査では、溶岩で埋没した阿古地区は溶岩下の空洞が沈下する恐れがあり、宅地には不適であると評価された。このため、住宅移転が検討されることとなった。事業手法には様々な方法が検討されたが、被災者への経済的支援が必要であることから、防災集団移転促進事業が実施された。
2) 手続き等
○溶岩流が迫ったものの家屋被害を免れた居住者からは、移転意向を得られなかったために、移転促進区域に指定しなかった。団地規模が10戸以上という規定があるため、新設した団地では1戸当たりの敷地規模が狭くなり、民宿の経営者等が住宅団地内への入居を拒んだりするなど、事業の適用条件を満足できるかどうかが心配された。
3) 事業対象者への対応
○住宅再建後、時間経過に伴い、借地となっている現在の宅地を分譲して欲しいという要望が強まってきている。

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