・198201:1982年(昭和57年) 長崎水害
【概要】
(1)被害の概要
①災害の特徴
・気象条件の特徴
・今回の大雨は、対馬海峡を通過した低気圧の動きが遅かったため、南海上から北上した梅雨前線が長崎県の中心部から南部に停滞して、記録的な短時間豪雨を降らせた。
・上海方面からの強い湿舌が九州北部に流入しており、南西側が海に面し、北東側が山でさえぎられている長崎県の地形が、全盛活動の活発化を助長した。
・災害の特徴
昭和57年7月10日から長雨が続いて、7月10日から20日までの雨量は県の南部で、600~800ミリに達しており、地盤がすっかり緩んだところに、記録的な短時間強雨が続いたため、河川の氾濫、山崩れ、がけ崩れなどの大災害が発生して、死者・行方不明者299人を数える大災害となった。
②被害の特徴
・都市災害
時間雨量が100ミリを超す集中豪雨が3時間余り続いたため、長崎市内を流れる中小河川が氾濫し、交通施設及び都市施設等も各所で冠水し重大な機能障害を受けた。
・土石流災害
長崎水害による人的被害の特徴は、鉄砲水が噴出し山腹の山崩れや土石流を引き起こしたため、死傷者が多く発生した。県下の死者・行方不明者299人のうち土石流や山崩れどの土砂災害による犠牲者は220人で、県全体の約8割を占める。
・自動車の散乱被害
長崎水害の特徴の一つとして、車社会を反映して、濁流に押し流された車の被害である。帰宅時のラッシュと重なったため、多くの車が走行中あるいは停車中に濁流に次々と流されたり、もぎとられた土石と一緒に転落埋没した。長崎市内における放置された自動車の台数は、道路上で1,204台、河川、空地、駐車場等で364台であった。今回の大水害で、豪雨の際には自動車はあえなく押し流され、水にもろいことが端的に示された。
表1 人的被害状況(人)
死者 | 行方不明者 | 重傷者 | 軽傷者 | 計 | |
長崎県 | 299 | 5 | 16 | 789 | 1,104 |
内)長崎市 | 257 | 5 | 13 | 745 | 1,016 |
表2 住家被害状況(棟数)
全壊 | 半壊 | 一部破損 | 床上浸水 | 床下浸水 | 計 | |
長崎県 | 584 | 954 | 1,111 | 17,909 | 19,197 | 39.755 |
内)長崎市 | 447 | 746 | 335 | 14,704 | 8,642 | 24,874 |
(2)災害後の主な経過
表3 災害後の主な経過(長崎県の取組状況)
年 | 月日 | 項目 |
昭和57年 | 7月13日 | 梅雨前線が停滞、県北を中心に土砂崩れなどの被害が広がる |
7月20日 | 長崎市に243ミリの降水量、県北を中心に土砂崩れなどの被害が広がる | |
7月23日 | 1420 壱岐対馬地方に大雨洪水警報発表、長崎県災害警戒本部設置、長崎県水防本部設置 | |
1650 長崎地方に大雨洪水警報発表、県警察本部災害警備本部(B号体制)設置 | ||
2015頃 長崎市本河内町奥山で山津波、芒塚町・北高飯盛町で土石流が発生 | ||
2000 長崎市街地の中島川が警戒水域を突破、次いで浦上川、東長崎地区の、八郎川、中尾川等の河川が氾濫 | ||
2030 長崎県災害対策本部設置、県警察本部災害対策本部がマスコミを通じ長崎市民に早期避難を呼びかけ | ||
2150頃 長崎市鳴滝3丁目で土石流が発生 | ||
2200 長崎県災害救助本部設置、長崎市に対し災害救助法を適用 | ||
2240頃 長崎市川平町で土石流が発生、治水ダムの一部が決壊 | ||
7月24日 | 政府が長崎大水害に対処して「豪雨非常対策本部」を設置 | |
陸上自衛隊が活動開始 | ||
災害救助法適用市町に災害救助用備蓄物資の緊急輸送を開始 | ||
7月25日 | 災害義捐金の受付を開始 | |
7月26日 | 長崎市がごみの収集活動を開始 | |
長崎市が住宅相談所を設置 | ||
県警災害相談センターを設置 | ||
7月27日 | 長崎市内の衛生状況を調査、緊急消毒 | |
7月29日 | 災害救助法の適用の適用期間を延長 | |
7月31日 | 議会運営委員会再開 | |
被災低所得者勤労者住宅復旧資金の特別融資を措置 | ||
8月1日 | 海上自衛隊が撤収 | |
8月3日 | 一時集積の災害ごみを埋立地等に搬送処理 | |
県制度資金「長崎大水害緊急対策資金」の貸付を開始 | ||
8月5日 | 災害救助法適用期間を再延長 | |
県災害防疫本部は災害後の伝染病その他の発生もないとみて安全宣言を発表し解散 | ||
8月21日 | 災害救助法の適用の適用期間を延長 | |
8月22日 | 未明、長崎市一帯に豪雨、芒塚町などの被災地100世帯が避難 | |
8月31日 | 災害救助法の適用期間を延長 | |
8月2日 | 公営住宅災害査定 | |
9月10日 | 災害救助法の適用期間終了 | |
9月24日 | 救援物資の受付及び市町村への配布終了 | |
10 | 長崎土木事務所に災害復興対策室を新設し災害復旧体制を整える | |
10 | 都市災害復旧事業第2次査定 | |
10 | 長崎防災都市構想策定委員会幹事会 | |
1228日 | 長崎県災害対策本部を解散 |
【参考文献】
1) 長崎市水害編さん委員会『7.23長崎大水害誌』昭和58年3月。
2) 長崎県『7.23長崎大水害の記録』昭和59年3月。
○長崎県警は、車両のナンバーによる車籍照会によって所有者に直接引き取らせるか、或いはレッカーなどで周辺の空地に移した。
長崎県は7月23日災害対策本部を設置し、人命救助を最優先に、不通となった幹線道路の早期復旧、飲水、食料品、救助物資の確保及び防疫対策の徹底などその実施に総力を挙げて取り組んだ。この結果、長崎市をはじめ、県内の生活環境、産業活動は予想以上に早い立ち直りを見せ、また、国の災害査定も終えてその任務を全うしたため、12月28日をもって災害対策本部を解散した。
○豪雨災害対策本部(国土庁)
災害の応急対策を強力に推進するため、国土庁長官を本部長とする「昭和57年7月豪雨災害対策本部」を設置した。
【参考文献】
1) 長崎市水害編さん委員会『7.23長崎大水害誌』昭和58年3月。
2) 長崎県『7.23長崎大水害の記録』昭和59年3月。
3) 長崎大水害10年誌編纂委員会『57.7.23長崎大水害 災害復興10年誌』平成5年3月。
○「昭和57年7月豪雨災害対策本部」では、各省庁の調査報告に基づき今後講ずべき措置等について検討し、次の事項等について決定した。
・行方不明者等の迅速な捜索救出作業の実施
・生活物資の確保等生活安定のための適切な措置
・電気、ガス、水道等のライフラインの早期復旧
・主要幹線道路の早期復旧
・被災河川の改修事業等関係事業の早期実施
・被災中小企業者に対する救済措置
・防疫対策の実施
写真 2級河川・八郎川(土地区画整理事業・上:昭和57年7月、下:平成4年8月)
写真 芒塚川砂防事業(左:昭和57年7月、右:平成4年8月)
【参考文献】
1) 長崎市水害編さん委員会『7.23長崎大水害誌』昭和58年3月。
2) 長崎県『7.23長崎大水害の記録』昭和59年3月。
3) 長崎大水害10年誌編纂委員会『57.7.23長崎大水害 災害復興10年誌』平成5年3月。
○義援金の寄託者に対しては、それぞれ知事名によるお礼状を送付した。また、4回にわたって長崎新聞に寄託者の氏名、金額を掲載して謝意を表するとともに、全国紙上に知事名をもって謝意と復興に取り組む決意を表明した。
○計画の考え方
・流域面積が1㎢以下の小規模渓流においては、谷の出口付近にできるだけ大きな遊砂空間、貯砂空間を計画、その下流に流路工を計画
・流出土砂量が多い場合には、土石流発生域での発生防止対策や流下部での土石流調整対策を計画する
○計画作成/工事期間
・砂防・地すべり関係のほとんどの死者が発生した現場では、二次災害の恐れもあり緊急を要するために、全て昭和57年中に発注、契約完了。
○適用事業・事業費
・砂防激特事業:全体事業費約140億円、箇所数:49渓流、ダム工60基、流路工29箇所、山腹工1箇所
・緊急砂防事業:事業費約48億円、箇所数45渓流、ダム50基
・地すべり激特事業:全体事業費約16億円、箇所数7地区
・緊急地滑り対策事業:事業費約3億円、箇所数9地区
○計画概要
・中島川の改修については、安全性の確保と石橋の現地復旧のために以下のような意見が出された。(1)石橋等を中島川上流や瀧の観音風致地区を流れる間の瀬川に移転・保全する、(2)中島川・浦上川では新しいダムサイトがないため、上流部の西山ダム等を治水ダム化し、河川負担の軽減と一部河道改修すれば、石橋の保全も可能ではないか、(3)導水トンネル方式、(4)暗渠バイパス方式で石橋群を存置する
・実際の改修には、最も効果のある治水ダムと河川改修の組み合わせとし、暗渠バイパス方式については、模型実験による水理実験を行い、計画原案をまとめた。
○適用事業・事業費
・災害復旧助成事業:1,267,001千円
・河川激甚災害対策特別緊急事業:6,000,000千円(中島川)