・197701:1977年(昭和52年) 有珠山噴火
【概要】
(1)被害の概要
①有珠山の概要
有珠山は、北海道の南西部、洞爺湖の南に位置し、胆振支庁(いぶりしちょう)管内伊達市、虻田町、壮瞥町にまたがってそそり立つ。標高732mの活火山である。
表1 有珠山の過去の噴火
年代 | 災害・その他 |
1663 | 多量の火砕物降下で家屋埋積・焼失、死者5名 |
1769 | 火砕流で南東麓の家屋火災 |
1822 | 火砕流で南西麓の1集落全焼、死者82名、負傷者多数、集落移転 |
1853 | 住民避難、赤く光るドーム出現 |
191043) | 火砕降下物で山林・耕地に被害、泥流で死者1名 |
火砕物降下・地殻変動で災害、幼児1名窒息死 | |
197778(昭和53) | 火砕物降下・地殻変動・泥流で市街地・耕地・山林等に被害、泥流で死者行方不明者3名 |
200012~) | 火砕物降下・地殻変動・泥流で市街地・耕地・山林に被害 |
※勝井(1988)「有珠山の噴火予測・災害予測および防災の問題」、曽屋ほか(1981)「有珠山地質図」を編集・加筆。
②被害の概要
昭和新山の噴火以来の32年ぶりの噴火である。1977年8月6日から始まった火山活動は、翌7日に噴火を開始し、地震や地殻変動は、1982年まで続き、火口原の中央部に有珠新山を生成した。
この噴火災害では、泥流により死者2名、行方不明1名の人的被害を出した。また、農業被害、土木被害、観光被害などを含めると被害総額500億円を超える被害となった。
表2 1978年10月16日・24日の泥流による被害
死者 | 行方不明 | 軽傷 | 全壊 | 半壊 | 一部損壊 | 床上浸水 | 床下浸水 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
虻田町 | 2 | 1 | 2 | 3 | 7 | (2)災害後の主な経過 表3 有珠山の噴火の状況と経過
【参考文献】 ○北海道農業開発公社に委託して降灰除去を実施。作物等の被害によって収入が無くなった被災農家も除去で、賃金を得ることができた。 ○有珠山周辺地域対策プロジェクトチーム設置 ○北海道農業開発公社に委託して降灰除去を実施。作物等の被害によって収入が無くなった被災農家も除去で、賃金を得ることができた。 ○有珠山周辺地域対策プロジェクトチーム設置 ・「有珠山周辺地域対策プロジェクトチーム」の目標 ○復旧事業 【参考文献】 ○役場内においては、ハザードマップの公表により、大きく地価が下がる場所が発生すると懸念されたが、実際は地価の低下は特に見られなかった。地区住民からも良い評価を得ている。 ○防災集団移転促進事業の適用のために、被災者等に対して移転の意向を調査したが、移転意志の無い被災者も多数おり、区域の設定は移転意志の無い被災者の家屋を除外して行った。 1) 事業導入の経緯 ○火山活動に伴う地殻変動により、家屋や公共施設に被害が発生し始めたことから、住宅移転が必要とされ、事業が導入された。その後の泥流の発生により移転の必要性の認識が高まった。 2) 手続き等 ○集団移転促進計画の策定にあたっては、地籍に変化があったが、再調査結果を待つ時間がないため、被災前のデータに基づき移転計画の策定を行った。実施計画にあたっては、その後地積調査を実施した。 3) 事業対象者への対応 ○まず初めに個別訪問による被災者の移転意向を把握し、その後、防災集団移転事業に関する計画案を住民へ提示した。計画案は住民の意向が反映された形であったため、その後の意向の集約は比較的容易にできた。 ○高齢者からは経済的な問題から移転意向がほとんど得られなかった。 ○移転促進地域からの移転戸数は21戸、その内、住宅団地へ移転したのは15戸。 ○島原市では、警戒区域が設置された後も、既解除区域において、災害遺物の収集が実施され、島原大変(1792年死者約1万5千人) 時代の古文書等も合わせて収集を行い、これらの一部については平成6年6月から、仮展示を開始している。)
○建設省雲仙復興工事事務所(当時)では、「雲仙普賢岳資料館」を設置し、火山災害の実態や防災事業の概要を紹介している。また、島原城内に、「観光復興記念館」を設置し、ジオラマによる展示や映像による土石流、火砕流に関する紹介を行っている。 |