3−1 日常生活における「人の絆」の重要性



3 生活から考える防災まちづくり

3−1 日常生活における「人の絆」の重要性

(1)阪神・淡路大震災の経験
 平成7年1月の阪神・淡路大震災は高齢時代の都市を直撃した地震であり,被災者の多くが高齢者であり,神戸市における死者数の約半分が65才以上の高齢者であった (図3−3−1)

神戸市における年代別の死者数
 阪神・淡路大震災では6,000人を超える人が犠牲となったが,要救出者35,000人のうち約8割の27,000人が家族や近隣者により救助されたといわれている (図3−3−2)

要救助者の救出方法
 特に,震源直近の淡路島の北淡町では,震度7を記録し壊滅的な被害を被り,多くの人が倒壊家屋の下に生き埋めとなったが,地元住民は生き埋めになった人の救助を自発的に開始した。その結果,瓦礫の下から,約300名もの人を救出し,地震が発生した当日の午後5時には,行方不明者がゼロとなり,捜索救助活動を終了した。
 北淡町においては,地域社会の住人が日常の暮らしを通じてお互いのことを熟知しており,近隣住民で組織された消防団は,瓦礫の下で埋もれている人の位置を正確に推定して速やかな救助を行うことができたといわれている。
 阪神・淡路大震災は,「日常生活における人々の結びつきは,お互いの心配りや助け合いを通じて,平素の生活自体を豊かにするという観点からだけでなく,災害時に人の命を救う上で大きな力を発揮するという意味でも重要である」ということを再認識させる契機となった。
 地域社会の住民誰もが悩んでいるようなテーマのうち,例えば老人福祉や子供の教育などの問題は,ひとり一人が努力するだけでは容易に解決できない拡がりをもっている。地域コミュニティの共通の課題として,互いに協力してこれに取り組むことによってはじめて,本質的な解決に向かって進むことができる。地域社会において,このような日常的な活動を通じて築かれる人々の信頼関係を大切にし,これに立脚した防災対策を進めていく必要がある。
 被災地の神戸においては,震災後,そのような認識が定着し,「福祉活動」と「防災活動」を結合させた「防災福祉コミュニティ」が小学校区を単位として拡大していった。

COLUMN 防災福祉コミュニティ
 神戸市では,震災の教訓を踏まえて,災害時には住民が協力して地域を守る活動ができるよう,小学校区単位で防災福祉コミュニティづくりが進められており,平成15年4月現在,180地区で防災福祉コミュニティが結成されている。
 本防災福祉コミュニティの特徴は,「福祉活動」と「防災活動」を融合させたこと,更に,参加者が,住民や自治会にとどまらず,企業の事業所も含まれていることである。なお,神戸市は,防災福祉コミュニティに対し,様々な支援策を提供している。
 例えば,神戸市真陽地区では,従前から,地域の自治会,婦人会,老人会,民生委員,PTA等により構成される「真陽ふれあいのまちづくり協議会」においては,給食会(独居老人に食事を配るのではなく,老人と地域住民が福祉センターで食事を共にするもの),真陽フェスティバル(盆踊り等のイベント)等の地域活動が行われていたが,阪神・淡路大震災を契機として,「真陽防災福祉コミュニティ」が新たに組織され,従前からの活動に加え,防災訓練等の防災活動も積極的に行っている。

(2)生活圏の拡大と地域コミュニティの弱体化
 日常生活における人々の結びつきの中に,不意の災害に対応する力を見いだす観点から,都市における人々の実際の活動に着目して,防災のあり方を考えてみたい。
 伝統社会では,一つの地域コミュニティの中で,仕事をし,学校に通い,買い物をするということが一般的であり,地域コミュニティと生活圏はほぼ一致していた。
 しかしながら,高度成長による都市化の進展に伴い,居住地の遠隔化が進む一方で,通勤,通学,買い物等の生活圏が拡大し,両者の乖離が拡大してきた。これに伴い,従来からの地縁に基づいた地域コミュニティが弱体化してきている。
 例えば,仮に,平日の昼間,大都市に大地震が発生すると,都心では通勤者や買い物客等を中心に大量の帰宅困難者が発生し,他方,住宅地では働き手が不在の中で,主婦と子供と老人が取り残されることとなる。

COLUMN 田中家の人々
 首都圏から40キロ離れたベットタウンに住む田中裕さんは,1時間30分かけて都心に通う会社員である。田中さんの妻,有紀子さんは,自宅からバスで20分ほどの最寄駅の商店街にある店でパートとして働いている。子供の裕一君は地元の小学校に通っている。
 もし,平日の昼間に大地震が起こった場合…。
 都心の会社にいる田中さんは,負傷しなかったものの,交通機関が途絶した中で自宅に帰ることは困難になった。妻の携帯電話や子供の学校に電話したが,全くつながらない。都心の避難所は,地域住民が対象であり,大量の帰宅困難者を収容する余裕はなかった。
 妻有紀子さんも負傷はしなかったが,夫とも学校とも連絡は取れない。せめて近所の人に自宅近くの状況を聞きたいが,電話番号を知っている人もいない。近所の商店やデパートでは,安全のため買い物客を店外に誘導した後,シャッターを下ろし始めた。人々が駅に集まり始めたが,駅でも乗客を外に誘導した後,安全が確認されるまで閉鎖されることになった。
 一方,裕一君のいる小学校では,児童の安否確認,負傷者の手当て,保護者との連絡に追われた。保護者と連絡のついた児童は保護者が付き添って帰宅することとなったが,裕一君のように連絡がとれない児童も多かった。そんな中,近辺の一部の老朽住宅が倒壊したため,学校は避難所として使用されることとなった。市職員も手が回らないため,避難所の運営は学校の職員が当たらなければならない。近所で火災が起こっているらしい煙が見えるが,消防車は来ない。「火事だ」と叫ぶ声が聞こえてきた。

 一方で,国土の多くを占める中山間地域等において過疎化が進行しているが,過疎地域においては,人口減少,高齢化の進行により,住民相互間の助け合いや農林地の維持・管理等が困難となっている。

COLUMN 海辺の村
 太平洋に面した,海沿いの村に住む山本太郎さんは82歳。1人暮らしである。奥さんを亡くしてから少し足腰が弱ってきたが,まだまだ1人で歩ける。東京に住んでいる息子さんは,頻繁に電話で「安否確認」をしてくれる。隣に住む山口さん夫婦は,70歳代だが,「私たちの方が若いから」と,毎日様子を見に来てくれ,話し相手になっている。気分のよいときは,村の人たちと一緒に裏山の下草刈りを手伝ったりすることもあるが,最近この村の山は十分管理する人手がなく,荒れてきているのを山本さんは心配している。山本さんがまだ子供の頃,大きな地震がこの地域を襲ったが,山が崩れることもなく,「津波が来るぞー」という声を聞いて,村の人たちと一緒に山の上のお寺まで逃げていったことを覚えている。地震の後でこの村に来た隣の山口さん夫婦には,その時の話をよくするが,山口さんはいつも真剣に聞いてくれている。
 ある冬の午前,山本さんがいつものように部屋に横になって庭を眺めていると,突然大きな揺れがきた。山本さんは家具の下敷きになり,動けなくなった。「た,助けてくれ」体が圧迫されて大きな声が出ない。「ドオー」という大きな音が聞こえ地響きがした。裏山の一部が崩れたのだ。そのとき,山口さんが駆けつけてきた。奥さんは近所の人と隣町まで出かけているらしい。山口さんは「今助けますからね。でも,裏山が崩れてしまい,逃げる場所がないな。」と言いながら家具をどかそうとするが,1人では動かせそうにない。その時サイレンに続いて,「ただ今,大津波警報が発表になりました。高い所で3メートル以上の津波が予想されますので,速やかに高台に避難して下さい。」という村の防災無線が聞こえてきた。

(3)新しい「つながり」と地域防災力
 都市,農村・漁村それぞれの地域が抱える問題は様々であり,地域特性に応じて,地域防災力を向上させる対策を講じる必要がある。過疎地においては,都市との交流・連携を図ることと合わせて,国土保全的な観点からの防災対策も重要である。
 一方,都市においては,行政区域を超えた様々な経済・社会活動を手がかりに新たな「つながり」が生まれ,生活者が自分たちでまちのくらしを活性化しようとする新たなコミュニティ活動やコミュニケーションが生まれてきている。
 さらに,最近における地価動向の下で,家族や近隣の人のつながりを重視する職住近接の生活様式も志向されるようになってきた。
 このような変化を踏まえ,都市部とその近郊においては,居住者を対象に行政区域単位で考える従来からの防災対策に加えて,現実の都市生活に立脚した防災対策を構築する必要がある。
 以下,住宅地,商店街,業務市街地を例にとって,日常生活の視点から新しい取り組み事例を紹介する。


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