平成7年1月の阪神・淡路大震災は高齢時代の都市を直撃した地震であり,被災者の多くが高齢者であり,神戸市における死者数の約半分が65才以上の高齢者であった (図3−3−1) 。
3 生活から考える防災まちづくり
3−1 日常生活における「人の絆」の重要性
(1)阪神・淡路大震災の経験
特に,震源直近の淡路島の北淡町では,震度7を記録し壊滅的な被害を被り,多くの人が倒壊家屋の下に生き埋めとなったが,地元住民は生き埋めになった人の救助を自発的に開始した。その結果,瓦礫の下から,約300名もの人を救出し,地震が発生した当日の午後5時には,行方不明者がゼロとなり,捜索救助活動を終了した。
北淡町においては,地域社会の住人が日常の暮らしを通じてお互いのことを熟知しており,近隣住民で組織された消防団は,瓦礫の下で埋もれている人の位置を正確に推定して速やかな救助を行うことができたといわれている。
阪神・淡路大震災は,「日常生活における人々の結びつきは,お互いの心配りや助け合いを通じて,平素の生活自体を豊かにするという観点からだけでなく,災害時に人の命を救う上で大きな力を発揮するという意味でも重要である」ということを再認識させる契機となった。
地域社会の住民誰もが悩んでいるようなテーマのうち,例えば老人福祉や子供の教育などの問題は,ひとり一人が努力するだけでは容易に解決できない拡がりをもっている。地域コミュニティの共通の課題として,互いに協力してこれに取り組むことによってはじめて,本質的な解決に向かって進むことができる。地域社会において,このような日常的な活動を通じて築かれる人々の信頼関係を大切にし,これに立脚した防災対策を進めていく必要がある。
被災地の神戸においては,震災後,そのような認識が定着し,「福祉活動」と「防災活動」を結合させた「防災福祉コミュニティ」が小学校区を単位として拡大していった。
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(2)生活圏の拡大と地域コミュニティの弱体化
日常生活における人々の結びつきの中に,不意の災害に対応する力を見いだす観点から,都市における人々の実際の活動に着目して,防災のあり方を考えてみたい。
伝統社会では,一つの地域コミュニティの中で,仕事をし,学校に通い,買い物をするということが一般的であり,地域コミュニティと生活圏はほぼ一致していた。
しかしながら,高度成長による都市化の進展に伴い,居住地の遠隔化が進む一方で,通勤,通学,買い物等の生活圏が拡大し,両者の乖離が拡大してきた。これに伴い,従来からの地縁に基づいた地域コミュニティが弱体化してきている。
例えば,仮に,平日の昼間,大都市に大地震が発生すると,都心では通勤者や買い物客等を中心に大量の帰宅困難者が発生し,他方,住宅地では働き手が不在の中で,主婦と子供と老人が取り残されることとなる。
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一方で,国土の多くを占める中山間地域等において過疎化が進行しているが,過疎地域においては,人口減少,高齢化の進行により,住民相互間の助け合いや農林地の維持・管理等が困難となっている。
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(3)新しい「つながり」と地域防災力
都市,農村・漁村それぞれの地域が抱える問題は様々であり,地域特性に応じて,地域防災力を向上させる対策を講じる必要がある。過疎地においては,都市との交流・連携を図ることと合わせて,国土保全的な観点からの防災対策も重要である。
一方,都市においては,行政区域を超えた様々な経済・社会活動を手がかりに新たな「つながり」が生まれ,生活者が自分たちでまちのくらしを活性化しようとする新たなコミュニティ活動やコミュニケーションが生まれてきている。
さらに,最近における地価動向の下で,家族や近隣の人のつながりを重視する職住近接の生活様式も志向されるようになってきた。
このような変化を踏まえ,都市部とその近郊においては,居住者を対象に行政区域単位で考える従来からの防災対策に加えて,現実の都市生活に立脚した防災対策を構築する必要がある。
以下,住宅地,商店街,業務市街地を例にとって,日常生活の視点から新しい取り組み事例を紹介する。